第21代内閣総理大臣 加藤 友三郎(かとう ともさぶろう)
文久元年2月22日生まれ。広島県出身。広島藩士の三男として生まれ、海軍兵学校を卒業。日清戦争では砲術長として従軍し活躍した。日露戦争では、連合艦隊参謀長兼第一艦隊参謀長に選任され、勇気ある行動で兵士の志気を高めたのである。大正4年の大隈 重信内閣では海軍大臣に任命され、海軍大将に昇進。その後も3代の内閣で海相を務め、艦政本部の改組、航空隊の創設、学校制度の改革、研究部の設置など実施した。そして大正11年に高橋 是清内閣で政友会の内紛で瓦解したのを受け、それまでの功績を称えられ推薦されたのである。ワシントン会議の際、欧米の記者から、その風采の上がらぬ容姿、風貌から「ろうそく」の渾名を付けられ軽視されていたが、軍備縮小に積極的に賛成した事で悪印象を払拭し、「危機の世界を絶えず明るく照らす偉大なろうそく」との評価を受けたと言う話は有名である。