第11代・13代・15代内閣総理大臣 桂 太郎(かつら たろう)
弘化4年11月28日生まれ。山口県出身。戊辰戦争では敵情視察や偵察任務、連絡役など後方支援に従事し、奥羽鎮撫軍の第二大隊司令として活躍した。明治維新後、ドイツへ留学し、帰国後は陸軍士官として累進。伊藤博文内閣、大隈重信内閣、山県有朋内閣で陸軍大臣を務めた後、明治34年に内閣総理大臣になった。ニコニコしながらポンと相手の肩を叩いて好感度を演出するところから、ニコポンのあだ名のある商人のような軍人政治家だったと言われている。金子 堅太郎がセオドア・ルーズベルトアメリカ合衆国大統領を動かしたことでロシアとの和平交渉に成功したが、世間から称賛されることはなかったと言う。その後辞任し、西園寺 公望に首相の座を譲るが、交互に組閣を行ったことから桂園時代と呼ばれている。そして明治41年に再び首相になり、翌年辞任。また、西園寺 公望が首相となる。その翌年、西園寺 公望が辞任すると再び桂 太郎が首相となったのである。