第3代・9代内閣総理大臣 山縣 有朋(やまがた ありとも)
天保9年4月22日生まれ。山口県出身。下級武士の家に生まれたが、槍の稽古に励み、松下村塾で学び、尊皇攘夷運動に参加した。高杉晋作の奇兵隊に入隊し、高杉を支える重要人物として諸隊をまとめ信頼を築き上げたのである。戊辰戦争では北陸道鎮撫総督・会津征討総督の参謀となり、大村益次郎暗殺後は、意志を継ぎ徴兵制を推進する。兵部大輔、陸軍大輔、陸軍卿を務めるが、山城屋和助に陸軍の公金を不正融資して焦げ付かせる山城屋事件が起きると責任を取る形で辞職。また、桂太郎の建言によって軍令・軍政の分離が行われると、陸軍卿となり、参謀本部の設置、軍人勅諭の制定に関わり、初代の参謀本部長となった。そして明治22年に内閣総理大臣に就任。2年後に辞任するも東京中心部に広い道路を作る計画をするなど精力的な活動を見せ、明治31年、第2次山縣内閣発足したのである。