松方 正義

第4代・6代内閣総理大臣 松方 正義(まつかた まさよし)
大正13年7月2日生まれ。鹿児島県出身。13歳で両親を亡くすも、藩校造士館に入学し、3年後、勘定所出物問合方へ出仕。島津久光の側近となり、生麦事件、寺田屋事件にも関与し、低い身分から出世した人物である。その後、御船奉行添役と御軍艦掛に任命され、軍賦役兼勤となり、軍艦の買い付けなどを任された。大蔵省官僚まで登りつめると、財政方針を巡って大隈 重信と対立するようになり、伊藤 博文の配慮によって内務卿に転出させられたのである。しかし、明治十四年の政変によって大隈が退陣すると復帰。金融政策の実現に取り組み、日本銀行の設立したことで財政収支は大幅に改善したのだが、深刻なデフレーションを招き、世間から非難されてしまったのである。それでも明治天皇からの信頼は絶大であり、1891年に第4代内閣総理大臣になり、翌年辞任するも1896年、再び内閣総理大臣の地位に就いた。内閣総理大臣を第4代、第6代の2期務めた有名な人物である。