第12代・14代内閣総理大臣 西園寺 公望(さいおんじ きんもち)
嘉永2年10月23日生まれ。京都府出身。清華家の一つ徳大寺家の次男として生まれ、西園寺家の養子となる。戊辰戦争で山陰道鎮撫総督を務め、維新後の明治4年~12年に兵学者の大村 益次郎の推薦によって官費でフランスに留学した。パリ留学で自由思想を学び、帰国後は自由民権運動に傾倒し、『東洋自由新聞』の社長になる。しかし、政府や宮中で物議を呼び、明治天皇の内勅により退社することになってしまった。その後、伊藤 博文の憲法調査団に随行し、伊藤内閣の文相・外相に歴任した。明治36年に憲政友会総裁に就任すると、伊藤 博文の後継者として認められ、明治39年に内閣総理大臣となった。その2年後、辞任すると桂 太郎が再び内閣総理大臣になり、明治44年に桂 太郎が辞任すると西園寺 公望が、翌年、西園寺 公望が辞任すると桂 太郎が、と言ったように交互に内閣総理大臣を務めたことで、桂園時代と呼ばれた。