第26代内閣総理大臣 田中 義一(たなか ぎいち)
元治元年6月22日生まれ。山口県出身。下級武士だった萩藩士の三男として生まれ、陸軍教導団、陸軍士官学校、陸軍大学校を卒業後、日清戦争に従軍し、ロシアに留学。日露戦争では満州軍参謀として活躍し、明治43年には在郷軍人会を組織。大正4年に参謀次長となり、原 敬内閣、山本 權兵衞内閣で陸軍大臣を歴任するなど目覚しい活躍を見せた。その後も男爵授爵、陸軍大将進級と順調な人生を歩んでいたが、狭心症に倒れ、静養生活を余儀なくされるのであった。しかし、それから立憲政友会総裁、貴族院勅選議員となり、昭和2年に第26代内閣総理大臣に就任したのだが、翌年起きた張作霖爆殺事件での主張が聞き入れられず野党から批判を受け、更には昭和天皇にも強く叱責されたため、涙を流して辞表を提出し、内閣総辞職したと言われている。それが持病に悪影響を与えたとも言われており、辞職から間もなく病死したのである。