平沼 騏一郎

第35代内閣総理大臣 平沼 騏一郎(ひらぬま きいちろう)
慶応3年9月28日生まれ。岡山県出身。津山藩士の次男として生まれ、帝国大学法科大学を卒業後、司法界へ進んで行った。「犯罪者異同識別法取調会」の主要メンバーに選出されたことで、指紋による前科登録を導入するなど貢献したのである。ナチスやファシストを思わせる政治姿勢で、司法界と枢密院に大きな影響力を持った人物であったが、国民からは支持されることはなかった。昭和14年に第1次近衛内閣が総辞職したことで、約半年間、後任を勤めるべく第35代内閣総理大臣に就任。警防団の設置や米穀配給統制法、国民徴用令などの制定をしたり、国民精神総動員委員会を設置するなどの結果を残した。また、西園寺 公望と相性が悪く、敵視していたことは有名である。退陣後は東条内閣倒閣に活躍し、太平洋戦争後、A級戦犯として終身刑が言い渡されるが、病気を理由に仮釈放。その後間もなく死去した。